靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

教員の「言語活動」を充実させるということ 【過去ログ整理】2018.11.01

言語活動の充実について。ALを通じて生徒の言語活動を充実させよ、とよく言われる。けれども、充実させるべきは教員の言語活動ではないか。という話。教員の言語活動には社会的尺度をそのまま再生産するだけの評価をする者も多い。

たとえば、生徒Aは部活動で〇〇大会3位入賞した。生徒Bは〇〇大学にストレートで合格した。生徒Cは〇〇のイベントで新聞に載った。生徒Dは〇〇検定で1級をとった。生徒Eは〇〇模試で成績優秀者として認められた……

もちろんこれも悪くない。ときに重要であるし、生徒もそう褒められて嬉しいことだろう。決して否定しない。けれども、問題なのはこうした言語活動だけしかできない教員である。既成のマジョリティ側の価値観を強化するだけの言語活動から距離をとるところに、教師の教師たる特徴があるのではないか。

たとえば、生徒Aはグループ内で自分の考えを話せるようになった。生徒Bは〇〇の計画を立てて行動するようになった。生徒Cは去年に比べて自分とは違う考えの人への想像力をもてるようになった。生徒Dと生徒Eは最近〇〇に熱中している。生徒Fは試行錯誤していた〇〇の解決策を見出したようだ……

教師に必要なのはこうした言語活動の充実ではないだろうか。他者との比較、社会的評価から独立した視点をもち、生徒一人ひとり違うはずのQOLを尊重し、その支援者として見守るという姿勢。あるいは、本人の過去と照らしてその人間的成長をほめる。生徒の実存を無条件に、まるごと認め受け入れる。

結果が出なくても、そのプロセスをよく観察して認めてあげる、褒めてあげる、アドバイスをする。そのためには、きめ細かな観察と多様性を尊重する開かれた姿勢、そして何と言っても豊かな言語力が必要。まさに教員組織で日常的な場で言語活動をいかに充実させていくかが問われているはずだ。

@yukylab 午後10:12 · 2018年11月1日-