靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

いま求められる「学習哲学」とは? 【過去ログ整理】2018.10.01-04

「敎育哲学」や「学習科学」はあっても、おそらく「学習哲学」という名の学問領域はいまだないのではないか。学習者中心思想の重要性が言われ久しいのだから、学習に関する(科学に限定されない)探究の場があってもいいのではないか。

一昨日、昨日と敎育工学会の全国大会に参加して、あれこれ考えている中で、今日、「学習哲学」という言葉を、ふと思いついた。

考えてみれば、古代ギリシアでの哲学の原義が「知を愛する」こと、つまり「知ること、学ぶことの愉しみ」にあるとすれば、「哲学」と「学習」とは、きわめて親しい関係にあると言えるのではないか。そして両者を深く結びつけるキーワードは「愛する」「愉しむ」という動詞である。

ここで「哲学」ということは、ひとまずは、理念やビジョンと現実の諸相との徹底的な照応を続ける営み、くらいに捉えておけばよい。「何がよきことか」「実はどんなことが起きているか」を行きつ戻りつしつつ考え続けること、その持続こそが重要である。

概念的には「ペダゴジーpedagogy」=「子どもへの敎育」と「アンドラジーandragogy」=「成人学習の支援」の区別にも関わってくるかもしれない。子ども/大人という発達段階的な区分はもはや無効であるとすれば、現代的に解釈すれば、教授者中心思想と学習者中心思想という対比になるのではないか。

@yukylab 午前2:40 · 2018年10月1日-