靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

「ルーブリック3.0」/ピアノ教育とキャリアパス【過去ログ整理】 2021.05.27,06.15

■「ルーブリック2.0」と「ルーブリック3.0」

教師が生徒学生を評価する道具として認知されたルーブリックが「ルーブリック1.0」なら、生徒学生もまた教員とともにルーブリックを作り評価する共同主観性の一翼を担うのが「ルーブリック2.0」。
そして、学校教育の文脈を脱却して、人が日々実践している評価→判断→選択という行為を言語化、意識化するツールとして一般に普及するのが「ルーブリック3.0」。……ってところか(←広がる妄想と野望)

@yukylab 午後10:02 · 2021年5月27日

 

■ピアノ教室の教育とキャリアパス
教える-学ぶ関係の根源性と遍在性に気づくとき、そこにはフィードバックがかかってくる。つまり教えたことを学んでくれたのか?という懐疑と応答である。この関係が異質な他者への「命がけの飛躍」であればこそ、このフィードバックは重要である。
ピアノ教室の発表会は、おそらく僕の子ども時代のものを踏襲したスタイルで、それはそれで懐かしいし昔を思い出して子どもたちの緊張感に共感したりするのだが、やはり時代も教育環境も大きく変わる中で旧態依然としたものを感じざるを得ない。
プロのビアにストを目指すキャリアパスを前提にした正統派音楽会スタイルは、子どもが音楽する喜びを感じる場となるより、むしろ子どもが音楽嫌い、ピアノ嫌いになる場をせっせと作っているようで、聴いていてちょっと辛いものがあった。
それはあたかも文学部哲学専攻の教育が、プロの哲学研究者養成を前提としたプログラムになっていて、9割以上の学生のキャリアパスを無視して行われていたような感じである。大学の哲学研究者もピアノ教室の先生もそのキャリアしか知らないから当然かも知れないが。
哲学については、哲学カフェ、哲学対話等の場が活況を呈していて、オンライン上でも多くの人に広がっている。
これに対して、音楽教室はどうだろうか? アマチュアのための音楽を掲げて、クラシック音楽の正統性にこだわらず、抜本的にピアノ教育を見直す動きがあるのだろうか?
言うまでもなく、アマチュアとはプロより下手な人ということではない。愛する人という意味である。場合によってはプロ以上に音楽を愛するゆえに、かえって聴く人の心を大きく動かすことがあるのがアマチュアの音楽だ。
@yukylab 午後9:15 · 2021年6月15日