2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧
先週「教育評価とルーブリックの可能性を考える」と題してオンラインカフェをしたのだが、話題の中心は多面的評価をどう教科に組み込むかという高校の指導現場の話。従来からの取り組みとの整合性を保ちつつ、しかも組織としても個人としても負担を最小限に…
■「ルーブリック2.0」と「ルーブリック3.0」 教師が生徒学生を評価する道具として認知されたルーブリックが「ルーブリック1.0」なら、生徒学生もまた教員とともにルーブリックを作り評価する共同主観性の一翼を担うのが「ルーブリック2.0」。そして、学校教…
そうか! 読解とは経験だということ。読解とは客観的なテクストの受動的再生ではなく、読解経験なのだ。それゆえ、経験を言語化する必要がある。言葉で「語る」必要がある。そして通常の客観テストで行われる読解の評価も、本来は読解経験の言語化の一つとし…
■「分かり合えない」という初期設定「分かり合える」ではなく、「分かり合えない」という前提からスタートすること。分かり合えることはひとつの奇跡である。それはマルクスの言う「命がけの飛躍」だから。@yukylab 午後2:26 · 2021年4月27日 ■ソシュールの…
■個人に内在する能力という幻想 実験室の中で構成されたデータをエビデンスと称し、社会的に要請された「能力」という抽象的な概念を、さも実在するかのように物象化し、その過多を競うようなテストが独り歩きを始める。一部の人間科学は、そうやって権益を…
■エロスとしての学問一部の人文系の大学教員がなぜ、3ポリやカリマネを軽蔑するのか考えてみたのだが、人文系は目的合理性を求めるような学問とは本質的に異質だからではないか。むしろ、そうした目的設定をした途端にウソになるようなもの、手段―目的連鎖に…
今日はELFでClubhouseを開きました。で、次のような結論に。学歴社会から学習歴社会へと移行する未来は、属人的な学びがふつうになる。と同時に学ぶ人/教える人を分ける意味が失われる。人はみな学びつつ教えることを常態化するようになる。それが経歴になる…
DPからCPを実装し、さらにはAPへという3ポリの「逆向き設計」は、基本的に目的志向、目的合理性の極みである。その意味で大学改革の核心は理系的な枠組みに貫かれている。そして直感的に言って、人文学はそうした目的合理性を疑うところにその凄みがあると思…
自戒を込めて言うと「〇〇力を高めましょう」というジェネリックスキルやコンピテンシー・ベースの発想は注意が必要で、個人が能力を高めることに主眼が置かれ、せっかくの探究が社会的な方向に向かわず、新自由主義的な自己責任論に帰着する懸念がある。今…
ハイフレックス型orハイブリッド型と言われる対面・オンライン混在型授業は、オンライン参加者の多くに疎外感を与えるようだ。こういうときは、グループも対面・オンライン参加者が混在するようメンバーを設定すること、そして対面参加者とオンライン参加者…