靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

物象化・コンピテンシー・対人関係ゲーム 【過去ログ整理】2021.04.13,22

■個人に内在する能力という幻想

実験室の中で構成されたデータをエビデンスと称し、社会的に要請された「能力」という抽象的な概念を、さも実在するかのように物象化し、その過多を競うようなテストが独り歩きを始める。
一部の人間科学は、そうやって権益を拡張し、今日の膨大な研究成果をもたらし、それが教育実践の場でも、教育評価の場でも多大な影響を及ぼすほどになった。
ここで立ち止まって、多様な諸能力が個々人に内在し、それを測定したり育成したりできる、という楽観的な見通しに対して、それを相対化する視座をもつことにも意味があるのではないか。
@yukylab 午前1:09 · 2021年4月13日

 

コンピテンシーは対人関係ゲームなのか?

何でも〇〇力になる時代。「挨拶力」「感謝力」にはさすがに違和感が高まる。挨拶や感謝が個人技法に堕したとき、大切な何かが失われる。挨拶や感謝の言葉がすぐに出てくるのは社交性があっていいことかもしれないが、その背後の打算があまりに見え透いていると、しらけざるをえない。
さて、では汎用的な能力とされるコンピテンシーは、そうした違和感とは無縁なものと言い切れるのだろうか? 
打算も含めて現代社会は洗練された対人関係のゲームで成り立っている以上、こうした諸力を身につけることが不可欠だということだろうか? そのゲームに乗る/乗らないの自由は?
@yukylab 午後9:46 · 2021年4月22日