靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

読解経験の創造性 【過去ログ整理】 2021.05.16

そうか! 読解とは経験だということ。読解とは客観的なテクストの受動的再生ではなく、読解経験なのだ。それゆえ、経験を言語化する必要がある。言葉で「語る」必要がある。そして通常の客観テストで行われる読解の評価も、本来は読解経験の言語化の一つとして捉え直す必要がある。
別言しよう。それは作者によって「語られた言葉」の再現では決してなく、読解という経験の主体による「語る言葉」なのだ。その能動性をしかと認めないといけない。

@yukylab 午後3:08 · 2021年5月16日

*「語る言葉」「語られた言葉」=メルロ=ポンティの概念。「語る言葉」とは言語の創造的側面、新しい世界分節を生み出す言葉。「語られた言葉」とは既存の言語の画一的側面、ステレオタイプな言葉の使用。