靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

オンライン授業を始めて分かってきたこと【過去ログ整理】2020.05.16

大学でのオンライン授業開始一週間。とかく対面授業での代替手段と捉えられがちだが、新しい可能性を感じたのでブレスト的に書いてみる。

 

・学生との距離感がとても近い。彼らは基本顔は出さないが、何か発言を求めればチャットでどんどん返してくれる。タイムラインは怒涛の流れで追いきれないほど。
・90人ほどのクラスだが、チャットでの情報共有によって、学生間でお互いにどんな仲間がいるのかが言語情報的に可視化される。また異なった立場や観点から意見を出してくれるので多様性があるし、他の学生のコメントから学ぶ機会が多くある。
・そういう意味では90人がひとグループになったグループワークをしている感覚。対面授業では5〜6人が限度だが。
・もちろんそこには難点もある。やはり書くときに言葉を選んで、注意深く発言しないといけないと感じている学生もいるし、ある種、無言の同調圧力を感じてしまう学生もいるようだ。
・当たり前のことだが、学生間のやりとりには身体性が完全に欠落している。声、表情、抑揚、その人の醸し出す雰囲気、ファッション、そうした感覚的、感情的要素をすべて欠いたまま、言語的にやりとりするしかない。
・一方で、教員やチューターの身体は晒される。その表情や部屋の背景など、リアル授業ではすぐに飽きるもの、遠くで慌ただしく動く教員の身体(といっても上半身だが)が間近で凝視される。目線やら髭やらもバッチリ見えてしまうだろう。
・去年まで『螢雪時代』の連載記事で付録の音声講義を毎月収録していたが、それと近いものがある。ただ学生からどんどんチャットでコメントが入る点で言えば、ラジオ番組のDJが近いと思う。このやりとりは端的に楽しい。面白い。
情報リテラシーは千差万別。なかなかうまく入力できない学生もいる。あるいは、提出物をポートフォリオにアップできないとか、アップはしたものの書いた内容がすべて消えてしまうとか。
・そういうときに、うまくいった学生がこうすればいい、とアドバイスしてくれることがある。これは嬉しい。
・システム的には結構複雑で、デジタル・ネイティブの彼らにとっても戸惑うことだらけ。もちろん情報弱者の僕もたいへん。さらに運用を始めたばかりのポートフォリオも問題山積。学生側の問題か、大学のシステム側の問題か、不具合の原因が分からない場合も散見される。
・学生が話しかけるハードルがかなり低いらしく、トラブルや不具合で質問されることが多々ある。その対応に忙殺される。本来教員は教材を作ったり、学生のふり返りを読んだりする時間をしっかりとりたいところ。
・授業の運営システムが複雑なので、とにかく雑事に時間をとられる。これで持続可能か?
・オンライン環境で教員と学生の距離が近くなったのはいいとして、さて学生同士はというと、なかなか仲間づくり、友人づくりができないという難点がある。
・学生は基本音声もカメラもオフ状態で授業は終わる。テレビを見ながら、知らない誰かとLINEしているような感覚だろうか。
・外面性を非常に気にする学生たちにとって、オンライン環境は救いと点もある。
・逆に家庭とは地続き、というか、まさに家庭の中で授業を受けるので、家族との関係性を断ち切ったところで大学デビューするのは難しいのかもしれない。若い頃は家族から距離を置いて自我形成していく重要な時期であるだけにそう思う。

 

大学に行ったのは入学式のみ。あとはすべてオンラインだとすれば、友達0人というのも致し方ないとも言えるが、Zoomのブレイクアウト・セッションなどを使うことで、関係をつくっていけないかとと思っている。

@yukylab 午前3:33 · 2020年5月16日