靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

主観-客観図式を強化する入試現代文。アンラーンする可能性を秘めたTAE。 【過去ログ整理】2019.09.06

主客図式、つまり主観(読み手の意見・考え)と客観(書き手の主張・テクストに書かれていること)は誰にとっても截然と切り離せるものである、という前提とした思考から逃れられないと、TAEのフェルトセンスとか、身体での前言語的な感覚から生じた「パターン」とか言われても、なかなか腑に落ちない。
大学人の中にも頑なに主客図式を信奉する者が多くいることは驚きなのだが、この点は、残念ながら受験業界の言説の感染力が想像以上の持続性をもって猛威を振るっているゆえなのかもしれない。


客観とは、実は多くの主観によって相互主観的に形成された社会的構築物であり、その気になればいつでも疑いうる虚構に過ぎず、それでも、ある種の客観が普遍的に思われるのは、それが多くの人のフェルトセンスに根ざした確たる実感(リアリティ)に支えられているからなのに。

入試現代文では、まず筆者の言いたいことを正確に読み取りなさい、そこに読者の主観は挟まずに、とにかく客観的読み取りに徹しなさい、と教える。入試問題とはそういうルールの上に成立したゲームであり、それがある種の現実的能力(マニュアルの読解や指令の伝達)に結びつくのも確かではある。
だが、そのゲームが文章読解の唯一のアプローチだと勘違いするところから、筆者の言いたいことを忖度し、空気や文脈を読んで正解を探しに行くハイコンテクスト社会、息苦しい同調圧力型社会が再生産されていく。

 

そろそろそういう社会は卒業しないと。
僕にはTAEはそうした忖度社会から脱して、言葉を真に自分のものにし、言語主体として自らを立ち上げる一つの方法ではないかと思われる。

*TAEとはジェンドリンによって開発されたThinking At the Edgeという思考手法。ここでは得丸智子氏から私が学んだメソッドを指す。

@yukylogのリツイート 午後10:30 · 2019年9月6日