靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

〇〇「を」教えること/〇〇「で」教えること 【過去ログ整理】2019.08.17

今の時代感覚から見て、数学の教員が数学「を」教えることしかしなかったら、ちょっと遅れているよと言いたくなる。数学「で」世界の真理に迫ることの意味やら、人間的実存が数学的世界分節を通じて生きていくことの意味やらを考えるような授業をしてほしいと思う。
一方で、人文学の教員が人文学「を」教えることしかしなかったとしても、あまり批判されないのではないか? ここはたいへん悩ましいところだが、人文学「を」教えることは、人文学「で」教えることの境界線は引き難い。
なぜそうなるのか。人文学それ自体が、自然言語による新しい世界分節の提起であり、人間的実存の生を揺さぶることを使命にしているからではないか。

@yukylab 午前9:00 · 2019年8月17日