ブルデューの「文化的再生産」の両義性 【過去ログ整理】2019.01.01
最近考えているのは、ブルデューの文化的再生産概念。支配的な階級の文化が学校教育を通じて再生産されるという面と、それに対する抵抗文化が生じるという二面性があるとして、入試というのは有無を言わせずに支配階級の文化を正解とする世界だということは強く感じる。
それは芸術や文学や哲学というコンテンツレベルよりも、むしろ語り口というか身体性というか、そんなリテラシーレベルで、無意識的に深く浸透するようなものかもしれない。
入試オリエンテッドな言説空間である日本の高校教育において、総合的な探究の時間は、文化の力関係に大きな変容をもたらす可能性を秘めているようにも思えるし、もっと深いレベルで支配的文化が再生産されるようにも思える。
@yukylab 午後11:33 · 2019年1月1日