靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

文学はI can not 〜の下り坂の生を肯定する 【過去ログ整理】19.01.26-29

技に溺れる

技に溺れるというか、策を弄するというか、そういう事象を教育現場でもそこここで見聞きするようになってきた。盛り上がるワークやインスタ映えする教室風景など表面的結果だけ見て満足してはいけない。技法の切れ味の魅力に取り憑かれて、何でも技法に頼ってばかりで、教育目標を見失ってはいけない。

@yukylab 午後10:12 · 2019年1月26日

 

I can not 〜の下り坂を肯定する文学の役割

資質・能力を高めるコンピテンシー・ベースの教育が、現代の基調だとすれば、それはI can 〜. を増やしていく教育。一方で、どう頑張ってもI can not 〜. はたくさんあるし、一般的に人生の下り坂は増えていくI can not 〜. に抗いきれない。そうした生を肯定できるのが文学の役割ではなかったか。 

@yukylab 午前3:05 · 2019年1月28日

 

セレンディピティを迎える身構え方

ある方と出会って親炙するという経験によってこそ人は成長する。しかし、その方との出会いそのものは誰も選べない。とはいえ、その方がメンターとして立ち現われてくるには自分の側に何らかの自己実現やら、自己転換やらの要求がすでに胚胎していなければならない。

その意味で、セレンディピティとは神秘的な偶然性なのではなく、半ば自分の側の身構え方に拠るのではないか。

@yukylab 午前11:57 · 2019年1月29日