靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

近代的な学校と教員は役割を終えるのか? 【過去ログ整理】2020.07.23

withコロナの状況が長く続く中、場所としての学校の役割が大きな曲がり角に差し掛かっているということをずっと考えてきたのだけれど、いま考えているのは専門家として教員の役割も転換点に差し掛かっているということ。
長期的な視点から見たとき、制度としての学校や専門職としての教員は近代という時代に必要不可欠ではあったにせよ、そろそろ賞味期限切れに達する、歴史的使命を全うして。そしてどこでも学校誰でも教員の時代となる。
長期的な視点から見たとき、制度としての学校や専門職としての教員は近代という時代に必要不可欠ではあったにせよ、そろそろ賞味期限切れに達する、歴史的使命を全うして。そしてどこでも学校誰でも教員の時代となる。
かつて人類がずっとそうであったように、教える-学ぶという関係性がそこここで起きるということである。ただかつてと違うのは、通信環境の飛躍的進歩とともに、教える-学ぶコミュニケーションが、汎時的に場所を超えて起きるという事態である。
人生の一時期に一斉に同じ場所に集合し、なぜか同じ年齢の者が同じ内容を同じ速さで学習する。そして放課後にはなぜか部活動を積極的に行うことが強く推奨され、時々行事が一斉に行われて参加することが自明視される。そのための場所が学校でそこでの仕事が教員。実に不思議な光景ではないか?

@yukylab 午前11:47 · 2020年7月23日