靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

3つのポリシーは人文系の学問の本質を歪めるか? 【過去ログ整理】 2021.03.21

DPからCPを実装し、さらにはAPへという3ポリの「逆向き設計」は、基本的に目的志向、目的合理性の極みである。その意味で大学改革の核心は理系的な枠組みに貫かれている。そして直感的に言って、人文学はそうした目的合理性を疑うところにその凄みがあると思う。
だから特にCPから実際のカリキュラムやシラバスを作る際には、ある種アリバイ的な御託を述べる職人技が必要になるわけだが、たいていの人文系教員はそんな資質・能力を軽蔑しているので、CPは形骸化するのが当然である。

@yukylab 午前4:50 · 2021年3月21日

 

*3ポリ=DP.CP.AP

DP(Diploma Policy)=卒業認定方針

CP(Curriculum Policy)=教育課程編成方針

AP(Admission Policy)=入学条件方針

kotobank.jp

「ジェネリックスキル」養成の副作用 ――自己責任論を強化するおそれ 【過去ログ整理】2021.02.13

自戒を込めて言うと「〇〇力を高めましょう」というジェネリックスキルやコンピテンシー・ベースの発想は注意が必要で、個人が能力を高めることに主眼が置かれ、せっかくの探究が社会的な方向に向かわず、新自由主義的な自己責任論に帰着する懸念がある。
今日は高校での探究に関するオンラインイベントに参加。「受験野郎」でも「探究野郎」でもなく、キャリア形成に根ざした探究学習が重要である点を再認識した。もう一つ、内発的な動機づけがあってこその探究であり、そのテーマを教師が限定しないことの重要性も再認識した。
@yukylab 午後10:36 · 2021年2月13日

*私は「ジェネリックスキル養成」を掲げてカリキュラムを作ることは、新自由主義的な自己責任論を助長し、社会構造の歴史的・文化的な問題意識から目を遠ざける可能性があることを危惧している。だが、その点についてはもう少し丁寧な議論をしなくてはならないとも考えている。いずれ考察してみたい。

対面とオンラインのハイブリット型授業で留意すること 【過去ログ整理】2021.02.04

ハイフレックス型orハイブリッド型と言われる対面・オンライン混在型授業は、オンライン参加者の多くに疎外感を与えるようだ。
こういうときは、グループも対面・オンライン参加者が混在するようメンバーを設定すること、そして対面参加者とオンライン参加者がペアを組むことが必要だと思う。
そうなれば互いに相手にとってできるだけ授業やグループワークに参加しやすい状況をつくるために協力し合うことができるし、対面・オンラインの長所を活かし短所を補い合うことができる。何より、学生たちにとっては協働力を磨く貴重な場となるはずだ。

@yukylab 午前10:21 · 2021年2月4日

「文化的見当識」を高める知識の獲得 【過去ログ整理】2020.12.27

詰め込み教育だとか知識注入型だとか言われインプット中心の学びは蔑まれて久しい。何のために覚えるのか、大人になって忘れるじゃないか、ネットで調べればいいからスマホ時代には即していない、と。
同意できる面があるし、アクティブラーニングを推進する立場から、似たようなことを言ってきたところもある。けれども、社会が成熟し、世界と多面的に関わることが多くなると、たしか世界史の授業で出てきたけど、音楽の授業で寝ながら聴いたけど、美術史の授業で名前だけはかじったけど……ということが多々ある。

そうした言葉に引っかかってネットで調べるわけだが、その場合もどんなジャンルのどんな文脈だったかという大筋が分からないと正確な情報源にたどりつけないことが多い。
そこで浮かんだ言葉が「見当識」である。見当識とは時空間や状況を正しく認識する力のことを指すが、やや比喩的に「文化的見当識」という言葉を作ってみた。多くの知識を先人たちの伝統だからと無理やり教え込まれるのは、文化的見当識を高めるのに役立つ。
だからといってチョーク&トーク型授業という旧パラダイムがいいと言うつもりはない。だが、知識を得ることにそれなりの価値があるとすれば、それは正確ではないにせよ何か引っかかる曖昧なものとして、頭のどこかに知識の居場所を作り、文化的見当識を働かせる土台となる点にある。

@yukylab 午前10:06 · 2020年12月27日

チーム作りの秘訣は「失敗経験」「場外乱闘」―はやぶさ2の津田さんの話― 【過去ログ整理】2020.12.12

はやぶさ2のプロジェクト・マネージャーの津田さんがNHKの「クローズアップ現代+」で話していたことは、チームビルディングにとってたいへん示唆的だと思った。キーワードは「失敗経験」「場外乱闘」。
「失敗経験」は、失敗を経験した人をメンバーとして選んだということと、チームの中で失敗経験を積む仕組み作ったということ。印象的だったのは「失敗と成功の境界を知っている」ことが大事だという津田さんの話。
「場外乱闘」は、計画外の創造性のこと。巨大プロジェクトゆえ敷かれたレールの上をひたすら走ることを求められるが、そうは言っても、メンバーが主体的、意欲的に提案したり挑戦を望んだりする余地を残しておく、そうした環境をつくったとのこと。やる気を力に!

@yukylab 午前2:15 · 2020年12月12日

「哲学する人間」という授業の到達目標 【過去ログ整理】2020.12.03

「人は哲学を学ぶことはできない。ただ哲学することを学びうるのみである」とはカントの言葉だが、今日はこの言葉について考えさせられた。今日の授業「哲学する人間」はヴィトゲンシュタイン前期思想と論理実証主義の違い、そしてヴィトゲンシュタイン後期思想へという流れ。
いよいよ担当の渡辺先生の専門領域となって、とても興味深く拝聴した。僕の学生時代、おそらくまだヴィトゲンを般教の哲学概論で教えることは稀だったことだろう。哲学科学生向けの特殊講義あたりで深堀りする哲学者、そんな印象だった。
そんなヴィトゲンの人生から始まって、『論理哲学論考』、写像理論、論理実証主義との違い、アスペクト知覚、そしてかの言語ゲームへと講義は進んでいった。
僕はたいへん興味深く授業を受けたが、学生には少し難しかったかもしれない。
ただ、ここでヴィトゲンシュタインの思想を明晰判明に伝えることが講義の到達目標なのかというと、少し違う。分かりやすいものは簡単に消費されてしまう。自分に引きつけてああでもない、こうでもない、ああいうことなのか、こういうことなのか、と自己内対話を深める機会もなく、終わってしまう。
カントが言う「哲学すること」とはまさに自己内対話=思考を深めることではないのか。そのためのモヤモヤのタネを提供するのが「哲学する人間」という授業の眼目である。難解だが何か魅力的な哲学があり、この先生はその哲学に深く魅了されている、そのことを知っただけでも大きな成果だ。

@yukylab 午後9:51 · 2020年12月3日

コロナ禍を好機と捉える学生・嵐が通り過ぎるのを待つ学生 【過去ログ整理】2020.09.22/11.30

SNSへの警戒心の高さ

学生のレポートを読んでいてなるほどと思ったのは、SNSに対する恐怖心や警戒心が非常に強いということ。これはメディアリテラシーなど教育の賜であろうが、過度に警戒することは、コロナ禍での情報収集や発信の機会を逃し、経験から学ぶこともできないという皮肉でもある。

@yukylab 午後9:55 · 2020年9月22日

 

コロナ禍を好機と捉える学生・嵐が通り過ぎるのを待つ学生
もう一つ。4月から半年が経とうとしている中で、新しい状況を受け入れ逆に自らアクションを起こす面白さを学んでいる主体的な学生と、いずれ吹き去る嵐のようにコロナ禍をただ耐え忍んで待っている学生とでは大きな差ができているということを、レポートを読んでいて感じた。
この差はどこからくるのか? 悲観的な学生と楽観的な学生の違いか。自己肯定感の強い学生と弱い学生の違いか。経験をメタ化してふり返る力の強い学生と弱い学生の違いか。社会的な問題と自らの置かれた状況を結びつけて考えられる学生と、自らの置かれた状況しか見えていない学生の違いか。

@yukylab 午後10:09 · 2020年9月22日

 

オンライン教育では読解力が必須

あまり言われないが、オンライン授業環境下でも受験勉強で養った非常に重要な力が役立っている。それは読む力である。履修登録からオンラインアプリの使用法に至るまで、とにかく自分で読んで正確に理解しないと何も始まらないのがオンライン授業である。隣で教えてくれる学友がいないのだから。

@yukylab 午後10:17 · 2020年9月22日

 

社会と自分との関係を考える学生・狭い対人関係にしか関心がない学生

我々はコロナ禍で、自分-家族-地域-国家-世界という社会との関係性を意識せざるをえない。狭い対人関係(=島宇宙)のことにしか関心がいかないと言われている一部の若者が問題視されて久しいが、否が応でも社会的なものへと関心をもたずにはいられないという状況を呈している。
そうした状況だからこそ、アンテナを高くして情報をとりに行き、自ら深く考え、選択し判断をくださなければならないことが多々出てきている。何しろ、誰も直面したことのない世界が今年になって突如出現したのだから。
僕など大学時代はひたすら音楽の虫と化し、社会との通路は限定的だったから偉そうなことは言えないが、いまの時代、社会との関係性をメタに捉えて、自分を位置づけていくことなしに、自らの人生を自力で切り拓いていくの難しい。
感覚的には、そういう力をもってどんどん成長している学生もいれば、あいも変わらず嵐が通り過ぎるのを待っているだけの学生もいる。その格差が凄まじく広がっている気がする。

@yukylab 午後8:48 · 2020年11月30日