靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

「哲学する人間」という授業の到達目標 【過去ログ整理】2020.12.03

「人は哲学を学ぶことはできない。ただ哲学することを学びうるのみである」とはカントの言葉だが、今日はこの言葉について考えさせられた。今日の授業「哲学する人間」はヴィトゲンシュタイン前期思想と論理実証主義の違い、そしてヴィトゲンシュタイン後期思想へという流れ。
いよいよ担当の渡辺先生の専門領域となって、とても興味深く拝聴した。僕の学生時代、おそらくまだヴィトゲンを般教の哲学概論で教えることは稀だったことだろう。哲学科学生向けの特殊講義あたりで深堀りする哲学者、そんな印象だった。
そんなヴィトゲンの人生から始まって、『論理哲学論考』、写像理論、論理実証主義との違い、アスペクト知覚、そしてかの言語ゲームへと講義は進んでいった。
僕はたいへん興味深く授業を受けたが、学生には少し難しかったかもしれない。
ただ、ここでヴィトゲンシュタインの思想を明晰判明に伝えることが講義の到達目標なのかというと、少し違う。分かりやすいものは簡単に消費されてしまう。自分に引きつけてああでもない、こうでもない、ああいうことなのか、こういうことなのか、と自己内対話を深める機会もなく、終わってしまう。
カントが言う「哲学すること」とはまさに自己内対話=思考を深めることではないのか。そのためのモヤモヤのタネを提供するのが「哲学する人間」という授業の眼目である。難解だが何か魅力的な哲学があり、この先生はその哲学に深く魅了されている、そのことを知っただけでも大きな成果だ。

@yukylab 午後9:51 · 2020年12月3日