靴底感覚

――竹内幸哉の研究日誌――

「文化的見当識」を高める知識の獲得 【過去ログ整理】2020.12.27

詰め込み教育だとか知識注入型だとか言われインプット中心の学びは蔑まれて久しい。何のために覚えるのか、大人になって忘れるじゃないか、ネットで調べればいいからスマホ時代には即していない、と。
同意できる面があるし、アクティブラーニングを推進する立場から、似たようなことを言ってきたところもある。けれども、社会が成熟し、世界と多面的に関わることが多くなると、たしか世界史の授業で出てきたけど、音楽の授業で寝ながら聴いたけど、美術史の授業で名前だけはかじったけど……ということが多々ある。

そうした言葉に引っかかってネットで調べるわけだが、その場合もどんなジャンルのどんな文脈だったかという大筋が分からないと正確な情報源にたどりつけないことが多い。
そこで浮かんだ言葉が「見当識」である。見当識とは時空間や状況を正しく認識する力のことを指すが、やや比喩的に「文化的見当識」という言葉を作ってみた。多くの知識を先人たちの伝統だからと無理やり教え込まれるのは、文化的見当識を高めるのに役立つ。
だからといってチョーク&トーク型授業という旧パラダイムがいいと言うつもりはない。だが、知識を得ることにそれなりの価値があるとすれば、それは正確ではないにせよ何か引っかかる曖昧なものとして、頭のどこかに知識の居場所を作り、文化的見当識を働かせる土台となる点にある。

@yukylab 午前10:06 · 2020年12月27日